不快の森を作ったのは私。でも、片付けを手伝われるのがどうしてもイヤ
今、目の前に広がっている“不快の森”は、間違いなく私が育ててしまったものです。物をそのまま置いたり、「あとでやろう」で見て見ぬふりをしたり。気づいたときには、部屋の中に物が溜まり、心もどこかザワザワ…。最近ようやく、「このままじゃまずい」と思い始め、少しずつ片付けに取りかかっています。ありがたいことに、主人は「手伝おうか?」と言ってくれます。その気持ちは本当に嬉しい。……でも、実際に手伝ってもらうのは、ちょっとイヤなんです。
いちいち確認されるのが、地味にストレス
一緒に片付けを始めると、だいたいこうなります。「これ、捨てていい?」「これはどこにしまってた?」「これは要るの?」ひとつひとつ確認されるたびに、「ああ、そこは自分で判断したいのに…」と、地味にストレス。中には見られたくない物もあるんです。昔の手紙、日記、使わないけど捨てられなかったもの…。誰かに見られると恥ずかしいような、自分でも整理しきれていないものたち。そうなると、やっぱり自分ひとりでやったほうが気が楽。マイペースに、ひとつずつ、こっそりとやりたいんです。
でも、自分でやると手が止まる
ただ、自分だけでやると、それはそれで問題があって…。「これ、また使うかも」「高かったし、もったいないな」「思い出があるし…」こんなふうに悩み出してしまって、結局ほとんど減らせなかったりします。「よし、捨てよう!」と意気込んだのに、結果、ただ広げただけで終わることも。そうこうしているうちに、不快の森は少しずつ侵食を広げているような気さえして、余計にモヤモヤしてしまうのです。
結局、私が作った森だからこそ、私の手で
でもやっぱり、この森を整えるのは、自分しかいないと思っています。
手伝われるとイライラするし、ひとりじゃ進まないこともあるけれど。
それでも、自分のやり方で、ちゃんと向き合いたい。
不快の森を作ったのが私なら、
それを心地よい空間に変えていけるのも、きっと私。
ズボラで、なかなか捨てられなくて、マイペースで。
そんな自分でも、「片付けたい」と思えるようになっただけでも、ちょっとした進歩かもしれません。
今日もまた、森の片隅でひとり静かに片付けています。
少しずつ、少しずつ、自分のペース
  
  
  
  
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